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なぜカニエ・ウェストは問題なのか?――メンタルヘルスと「スーパーヒーロー」

昨今はすっかりお騒がせセレブ化してしまったカニエ・ウェストが、待望の新作 Ye をリリースした。そのサウンドはエポックとまではいわずとも安定したクオリティを保っており、プロデューサー/ミュージシャンとしての才覚は鈍っていないことをアピールするかのようだった。カニエは昨今のヒップホップ・シーンにおけるゴスペルへの接近や信仰への回帰の中心的存在だが、今作でもたとえば”Ghost Town”(tr.6)のような楽曲にその片鱗が伺える。特に同曲の終盤にふとあらわれる、アカペラのコーラスとサブベースだけのパートには、天上的な悦楽だけではなくて大地にしっかりと足をつけたような力強さを感じた。

とはいえ、すでにさまざまなメディアで指摘されていることだが、同作におけるリリックの内容は、ままスキャンダラスとまでは言わないものの、カニエのお騒がせ体質が滲み出た微妙なものになっていたように思う。NMEの報道によれば、TMZのインタビューで例の「奴隷制は選択」発言をして騒動になったあと、歌詞があまりにもセンシティヴだということでアルバムがまるごと一枚ポシャったらしい。それでもなお論争を呼ぶ作品になっているわけだから、もしそのバージョンがリリースされていたらとんでもない問題作になっていたかもしれない。

具体的なリリックの内容については、ライターの池城美菜子さんによる全曲解説が簡潔で的を射ているように思うので、そちらを参照してもらいたい。個人的には、”Wouldn’t Leave”につづられている「嫁の忠誠心を試してどこまでついてこれるか見極めろ」みたいな内容に、「こいつマジでやべーやつじゃん」とドン引きした。”Yikes”の「ラッセル・シモンズみたいにおれも#MeTooされたらどうしよ~ 怖い~」みたいな茶化しもどうかと思う。まあ、ヒップホップという音楽の体質から考えればこのくらいはアベレージという気もするものの、やはりこのタイミングでこの内容というのは厳しいものがある。

しかし今回問題にしたいのは、前述のNMEの記事(元はBIG BOY TVにアップロードされたインタビュー動画だが)で紹介されている、彼の精神的な問題に関する発言だ。彼は「39歳になったら、精神的な問題があると診断された。まあみんな何かしら抱えているものだと思う。何かしら抱えているんだけど、おれがアルバムで言ったみたいに、それは障害じゃなくてスーパーパワーなんだ」と述べている。こういった発言が、同じ苦しみを抱えている人びとをエンカレッジするならば良いのだが、NMEで紹介されている他の発言には、「他のアーティストと違っておれは自分を最後まで貫く」とか、「もしこの境遇にいるのがカニエ・ウェストじゃなかったら、どうなっていたと思うよ?」みたいなものがみられる。つまるところ、ミュージシャンとしてのカニエ自身を他者――他のミュージシャン、あるいは一般大衆――から卓越化するためのギミックとして病を扱うかのようなレトリックがみられるのだ。

このように、「苦しみの共有」ではなく、「苦しみを強みに転換する強さをもった自分」にフォーカスがあたっている点に、近年のカニエの発言に通底する問題が隠れているように思う。端的に言ってしまえば、いわゆる「ネオリベ」(あまりこのレッテルは好きではないのだが)と呼ばれて批判される類の自己責任論だ。「奴隷制は選択」という発言にしても、制度的な問題を個人の選択の問題にすり替え、「奴隷制を捨てるという選択をしなかったのだから、実質的に奴隷制は黒人自らが選んだものではないのか」と主張したわけだから、その論理は一貫している(ついでに言えば、つい最近炎上している某アパレルECサイトの某氏の過労死に関する発言を彷彿とさせもする)。カニエのなかでは、心の病でさえも、個人の能力次第で乗り越えが可能なものであって、それを乗り越えられないということは…… いや、ここまでは言うまい。カニエもさすがにそこまで口にしてはいないのだから。

マーク・フィッシャーは著書『資本主義リアリズム』のなかで、メンタルヘルスの問題が社会全体の福祉に関わる問題ではなく、個人の脳生理学的な問題に還元されていく現代の傾向を厳しく批判したが、メンタルヘルスの個人化・私有化(privatization)の先では、メンタルヘルスの問題が「病をいかに乗り越えるか」という個人間の卓越化の材料に堕してしまいさえするのだ。

資本主義リアリズム

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  • 作者: マークフィッシャー,セバスチャンブロイ,河南瑠莉
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That’s my bipolar shit, nigga what? / That’s my superpower, nigga ain’t no disability / I’m a superhero! I’m a superhero!(おれが言ってんのはおれの双極性障害のことなんだよ、お前らわかるか?/こいつはスーパーパワーで、障害なんかじゃないんだ/おれはスーパーヒーローだ! おれはスーパーヒーローだ!)

“Yikes”をしめくくるアウトロのシャウトは、双極性障害における躁状態からくる錯乱した万能感を感じさせる。と同時に、そうした歪んだ認知が彼自身の自己認識をどのようなものにしているかを物語ってもいる。病にとりつかれた彼は、それに苦しまされると同時に、それをまさしく原動力として「スーパーヒーロー」になるのだ。しかし、この「スーパーヒーロー」は誰を救うのだろうか? いまのカニエの姿からは、弱き者に寄り添い強き者に立ち向かう「ヒーロー」像なんて、とてもじゃないが想像できない。

Published in Japanese