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BTS(防弾少年団)"ANPANMAN"の衝撃――ポスト「クール・ジャパン」へ向けて

いまやK-POPアイドルグループ界で押しも押されもせぬ活躍ぶりを見せるBTS(防弾少年団)が、先日アルバムLOVE YOURSELF 轉 ‘Tear’をリリースした。そのなかに、日本人なら「おっ?」と思うようなタイトルの一曲がある。その名も”ANPANMAN”。そう、やなせたかし原作の、アニメ版もすっかりおなじみのキャラクター、アンパンマンを題材にしたものだ。それだけ聞くと、ちょっとしたノヴェルティソングというか、いわゆるネタとして消費される類の曲なのかなと思ってしまうのだが、意外にも曲の内容は、「そうきたか!」と思わされる、捻りの効いたものだった。

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大意はこんなものだ。小さい頃からバットマンやスーパーマンに憧れていた少年が、大人になるにつれてそうした荒唐無稽でゴージャスなヒーロー像を受け入れられなくなっていく。しかし、アンパンマンになら自分も近づけるかもしれない――困っている人を見つけたらそっとアンパンを差し出す、そんなヒーローにならなれるかもしれない。むしろ、そんなアンパンマンこそが新しい時代のヒーローなんじゃないのか? 超人的な力もいらない、富もバットモビールもいらない。僕はアンパンマンを求めている、僕こそがアンパンマンだ。

MCUをはじめとするアメコミもののブロックバスターが世界の映画史上を席巻し、アメリカン・ヒーロー像そのものも多様化し、進歩していく。しかし、そうしたアメリカン・ヒーローがグローバル・スタンダード化するのに待ったをかけて、BTSはアジア人としてそこにもうひとつのオルタナティヴを提示しているわけだ。アンパンマンというキャラクターを知る人にとってはちょっとユーモラスな、知らない人にとってはエキゾチックな印象を与えながら。

もちろん、アンパンマンというキャラクターが日本発のものだということを考えて、うれしくなる人もいれば複雑な気持ちになる人もいるだろう。いずれにせよ、アジア文化がグローバルにプレゼンスを上げていくなかで、日本の、ともすれば「こどものもの」として軽んじられそうなキャラクターを、このタイミングで、この文脈で取り上げるBTSの鋭さには、してやられたと感じる。作品のテーマの咀嚼の仕方も抜群だ。いわゆるアニメでおなじみのアンパンマンというよりは、そのプロトタイプである、アンパンをくばるおっさんとしてのアンパンマンを想像したほうがよりリアルにこの曲が響くかもしれない。

あんぱんまん (キンダーおはなしえほん傑作選 8)

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最近ひしひしと感じるのは、いわゆる「クール・ジャパン」の名の下で繰り広げられる日本の文化政策がたいした実を結ばない一方で、コンテンツのクオリティ向上や圧倒的な経済成長を背景に中韓の文化のグローバルな存在感が増している、ということだ。このことは、すっかりグローバル・チャートでもおなじみになったK-POPアイドルたちのみならず、ビリビリ動画の躍進などといったことにも裏付けられている。KAWAIIにせよOTAKUにせよ、日本文化は相変わらず海外のひとびとから一定の支持を受けているものの、その受容は「クール・ジャパン」としてよりも、むしろ「クール・アジアン」というように、日中韓を中心としたアジア文化全体がひとつの文脈のうえに整理されているような印象を受ける。

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そこで登場したのが、”ANPANMAN”という決定打だというわけだ。韓国のアイドルグループが、日本の絵本のキャラクターに憧れるポップスを、グローバルにプレゼンテーションする。もはや日本・韓国といった線引きを超えて、ハイブリッドなアジア文化が新しい文化のフレームとして機能しているのだ。もちろん、この勢いの一因には、先日RealSoundでも遅まきながら紹介した88risingのようなプラットフォームをはじめとした、アジア発のアーティストをプロモートする動きもあるだろう。

しかし、日本はいまのところこうした動きにきれいに便乗することができていない。つくり手や受け手といった個人の単位では盛んになってきている交流も、少しスケールが大きくなると鈍くなりがちだ。中韓を単なるライバルであったり、ましてエキゾチックな観察の対象とみなすような風潮はすっぱりと終わりにして、政治的融和の道のりは長いとしても、せめて文化的交流は絶やさず、アジアにおける日本文化のプレゼンスを維持し、「アジア文化」という大きな枠組みを建設的に発展させていく時代だと思う。というのも、いまさらにすぎるだろうか?

カテゴリー: Japanese