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月別: 2017年3月

細馬宏通『うたのしくみ』ぴあ株式会社、2014年

うたのしくみ

うたのしくみ

 読みたくて読みたくて、読みた過ぎて読めなかった本を、ようやく読んだ。細馬宏通さんの文章によく触れていたわけでは決してないけれども、たとえばドナルド・フェイゲンのナイトフライを扱ったこのコラムや雑誌掲載の論考など、よく目にしていた。そこから直観的にこの本はとても良い本だろうと感じていたから、いつか読もうと思いつつ、なぜか敬遠してもいたのだった。もはや読み終えた今、その理由はさだかでないけれど、音楽のみならずアニメーションや視覚文化論までを扱った細馬さんの本をもっと読んでみたくなった。

 そうした思い入れはともかくとして、いかにこの本が素晴らしいかといえば、ミクロな、きわめてミクロな「うた」*1の呼吸に寄り添いながら、歌い手の、あるいは歌そのものの持つ奥行きを垣間見せてくれるという点に尽きると思う。その奥行きもまた、ときに「うた」という営みの持つ根源的な性格であったり、あるいは「うた」を支える文化的な枠組であったり、さらにはその「うた」を産んだ(例えば)アメリカ文化という広大な歴史的深みであったり、多様な姿をとって目の前にあらわれてくるかのようだ。

 「語りと歌のあいだ」と題された章では、文部省唱歌の「お正月」が取り上げられる。とるにたらないこどもの歌じゃないか。と思うなかれ、その「うた」をていねいにひらいていくと、ふと次のような洞察が舞い降りてくる。

こんな風に、わずか四行の「お正月」を歌うとき、わたしたちは歌と語りのあいだを往復する。沿いの結果、ここから遠く離れたお正月へ連れて行かれ、またここに戻ってくる。そして不思議なことに、歌い終わると、この場所は、さっきより少し居心地の良い場所、はやくこいこいとお正月を待つことのできる場所になっている。*2

 文字にすれば四行にすぎない「お正月」の「うた」としての生理をひもとくことで、いつのまにか読者は「語り」と「うた」のあわいがこの「うた」にひそんでいること、そして、そのあわいは「夢」と「いま、ここ」のあわいとひそかに重なり合っていることに気付かされる。短いコラムだけれど、見事だと思う。

 そしてまた、「うた」のミクロな分析を通じて蓄積された納得が、たとえばミュージカル・ナンバーの分析に援用されるとき、どうも馴染みの薄い世界だったミュージカルという表現にも独自のルールがあり、それはまさしく「うた」の生理に基いていることが明かされる。これには驚嘆した。

[…]ミュージカルの舞台や映画では、歌は長い物語の一部であり、語りが歌になる理由、そしてその理由を語る方法がある。それが、オープニング・ヴァースや語りという形をとる。「虹の彼方に」は、そのように物語に埋め込まれた歌であり、わたしたちがしばしば耳にする「虹の彼方に」は、そうした物語から取り出された、コーラスなのです。*3

 ほか、メインとなった連載「うたのしくみ」に加えて収録されたライナーノーツほかの文章も、とりわけ松本隆のドラミングと歌詞の関係を考察した「金属の肺、のびあがる体―松本隆の詞とドラマーの生理―」や、大瀧詠一が自身の活動のいたるところに仕掛けた「聞くこと」そのものを挑発する試みを辿った「「聞くこと」を揺らすテクノロジー―大瀧詠一の諸活動にみる「どこにもナイアガラ」現象―」は白眉といえる。

 ひとつ気になったことといえば、装丁が少し独特で、やわらかい明朝体がかえって目に障るところがあった。濁点を見間違えることもあって、これはちょっと困った。星ひとつ引くにもあたわない程度のことだけれど。

*1:ここでは細馬さんにならって、意味のある言葉ともたんなる声とも違う歌に特有の声の意で、かっこつきの「うた」という表記を使う。

*2:『うたのしくみ』43頁

*3:『うたのしくみ』71頁

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Cybotron ”Clear”とヴェトナム戦争

エレクトロ・ヴォイス 変声楽器ヴォコーダー/トークボックスの文化史 (P-Vine Books)

エレクトロ・ヴォイス 変声楽器ヴォコーダー/トークボックスの文化史 (P-Vine Books)

 デイヴ・トンプキンズの大著『エレクトロ・ヴォイス 変声楽器ヴォコーダートークボックスの文化史』を読んだ。通史的な書き方でも物語ちっくな書き方でもなく割と散漫な印象を拭えない(最後のRAMMELLZEEを扱った章なんかは端的にカオスだ)し、何年にヴォコーダーが生まれて~みたいなさっくりとした記述を求めると特にフラストレーションが貯まるだろうな。そういうわけでちょっと評価に困る本なのだが、面白いエピソードは満載だ。いちばん興味深かったのはじつはヴォコーダーと軍事技術の関係などではなくて、むしろデトロイト・テクノヴェトナム戦争の意外な関係だ。

 デトロイト・テクノの始祖といえばCybotronであり、テクノのゴッドファーザーはそのメンバー、ホアン・アトキンスであるというのは広く知られた事実だ。しかし、このClearという代表曲には、アトキンスの相棒であるリック・デイヴィスのヴェトナム戦争への従軍経験が影を落としているのだという。

「クリアー」はクラブから最も遠いところにある。同曲はあくまで、現実に対処しようと、混乱する頭をどうにかクリアーにしようとしている男の歌だ。ワシントンからサイゴンへ、ヴォコーダーを介して何が伝えられたにしろ、リック・デイヴィスはそれを遠い密林の中、自らの手で行った。キッシンジャーの言う「徹底的な」無数の爆撃によってできた空き地の中、文字通り死にもの狂いで。「“クリアー”は軍事用語だ」とデイヴィスは言う。軍事行動に必要とされる場の確保は、村人全員の虐殺も意味する。「我々の視界をクリアーに」し、やつらの動きを一掃[クリアー]しろ。*1

 曲のなかで執拗に反復される「Clear ××(~をクリアーせよ)」は、アトキンスによる来るべき未来へ備えた自己変革を促す啓示であると同時に、デイヴィスを襲うヴェトナム戦争のトラウマでもあるのだ。デイヴィスのトラウマは相当深刻なものだったようだ。

R-9”をレコーディング中のある晩、ホアン・アトキンスミシガン州イブシランティの[ティー・ティーズ・スピークイージー]の階上にあったサイボトロンのスタジオに向かった。中に入ると、パジャマ姿のデイヴィスがアサルトライフルを抱えて立っていた。「あいつはよく夜警をしていた。ライフルを構えて、ひとりで機動演習を。いや、頭がおかしいとか、そういうふうには思わなかったよ。親友だったし。まあ、ちょっとびっくりしたのは確かだけど」。アトキンスが大丈夫かたずねると、デイヴィスは言った。「ああ……たまにこういう夢を見るんだ」。*2

 Cybotronの不気味な黙示録的音像はヴェトナム戦争というトラウマから立ち直るためのセラプティックな効果を持っていたわけだ。アルバムの最後を飾るEl Salvadorのアウトロは、シンセサイザーで再現されたヘリコプターの飛行音と、乾いた銃声を模したパーカッシヴなSEに彩られている。 

Clear

Clear

*1:『エレクトロ・ヴォイス』、168頁。強調は筆者が加えた

*2:同上、171-172頁

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オリヴィエ・アラン著、永富正之・二宮正之訳『和声の歴史』(と、菊地成孔+大谷能生『M/D』を少し)

文庫クセジュ448 和声の歴史 (文庫クセジュ 448)

文庫クセジュ448 和声の歴史 (文庫クセジュ 448)

 この本、原著の出版が1965年、邦訳が1969年に出ているのだが、手元にあるのは2007年の第十七刷。けっこうなロングセラーだ。ギリシア時代の音楽理論(旋法だとかいわゆるピタゴラス音律だとか)から20世紀中葉の当時最先端の現代音楽に至るまでを通覧し、和声ないし調性というシステムがいかにして確立し、そして飽和・崩壊することになったかをコンパクトにまとめた一冊になっている。豊富な譜例がひかれているのがかえって譜面に慣れていない初学者には敷居が高く思えるけれど、記述は端的でわかりやすい。この手の通史を読んで思うのは、調性というものが18世紀に確立するまでには少なくとも数世紀ものゆるやかな発展があったにもかかわらず、一度調性がひとつのシステムとして確立した途端に、ほんの2世紀足らずでその限界にまで達してしまう、近代特有のダイナミズムだ。もちろんこれは現在検討することができる資料の絶対的な量が中世以前はとても限られていて、その発展の様相が断片的にしか捉えられないという時代的な制限によるところも大きいのだが。

 本書はトータル・セリエリズムや電子音楽、具体音楽といった同時代の試みにも一瞥を向け、クラシック以前においては旋法が、クラシック音楽においては和声が担ってきた音楽の「牽引力」は、これまでとはまた別の場所に見いだされることになるのではないか、と論じて終わる。そこで少し感動してしまったのは、いささか些細な点ではあるのだが、音響物理学の同時代の成果に言及したくだりで、次のように述べるところだ。

われわれの感覚のなかで、もっとも分析的でもっとも具体的な耳の能力を、過小評価してはならない。真摯な態度で聞きもせず、くりかえして聞きもしないで、ある集合音または集合音の連結を、倍音列との関係がただちに認められないからまったく意味がない、と決めつけることはできないだろう。*1

 理論の檻の中に自ら閉じこもってしまえば自ずとそこは袋小路になってしまう。むしろ耳を開き、耳を頼りにすること。その重要性を説くこの一節は、本書を通読したときには存外に重く響いてくるものだ。

すこし雑記

 さて、和声ないし調性というシステムが飽和し、もはやそこに発展を見出すことはできない(そこに閉じこもるべきではない)という前提にたてば、前述のトータル・セリエリズム等の試みのように、音高と持続以外のパラメーターのなかにも「牽引力」(音楽をつくりだし、進めていく力)を見出していくことになるだろう。これは実際、無調から十二音技法を経由してトータル・セリエリズムに至る道程の教科書的な図式化にしかないかもしれないが、本書がその末尾で控えめに、しかし力強くそう示唆するとき、ふと思い出した文章があった。

[…]モーダリティという概念を最広義に拡大するとき、たとえば、あらゆるロックに偏在するブルース・ペンタトニックは旋律上のモーダリティですし、 編曲一般からエレクトリック・ノイズのイコライジング/フィルタリングまで、すべての音色/音質の変化もモーダリティと言えますし、これはのちにやりますが、ポリリズムを前提とした「リズム・チェンジ」もモード概念で説明が可能であり、前項でお話しした通り、音楽につねに付帯する「モード」、つまり服装や流行の変化も、これは言うまでもなくモード・チェンジです。*2

 菊地成孔大谷能生の『M/D』からの一節だ。この本は毀誉褒貶激しく、とりわけある一人の攻撃者に対して菊地が反撃に打ってでたことによってその印象は増してしまったわけだが、一見そうした怪しげな著者らのフカシとも思えるこの「モード」解釈と同じことを本書は言ってんじゃん。と思ったのだった。調性の崩壊に伴うオルタナティヴなシステムの探求は、まさしく「音色とか強弱の効果などという音の高さ以外の《特性のなかにあるいは見いだしうる》」*3にあるわけだ。なーんだそういうことか。というあれがあれしたのです。

*1:『和声の歴史』146頁

*2:菊地成孔大谷能生『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究(上)』河出文庫、433頁、強調は筆者による

*3:『和声の歴史』142頁

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最近のファンキ事情がけっこうイカれてる件

 なるほろファンキやばいことなっとんなーと思ってちょっと掘ったら凄いの一杯あった。気になったのだけまとめておきます。

 一瞬ファンキのトラップ化か、とおもったけどむしろグライムだな。鋭角的かつ謎のパーカッション。

 どんどんどんどん…… というだみ声ループにだみ声MCがのっかって中毒性という点では随一。リズムのパターンは割りと昔流行ったバイレファンキを思わせるのだが、なんと唐突にメトリックモジュレーションがかかってテンポが落ちる。ファンコットにもそういうマナーがあったな。シカゴ・ハウスのプリミティヴさに南米らしいリズムの遊びが加わった感じで良い。

 ぼんぼんぼんぼん…… という(以下略)。この曲のボーカルにかかってるデジタルリバーブというかフリーズ音みたいなエフェクトは他のファンキ曲でも頻出していて流行ってんのかこのプロデューサーが多用しているだけなのかちょっとよくわからん。銃声とローディング音というゲットーマナー丸出し感がたまらない。

 すかすか加減ではこれが物凄いことになってる。必聴。 サブベースがぶんぶん鳴るヴァース部が終わってサビっぽいところに入ると、ベースが鳴るのが2小節に一回、小節頭だけ。ほとんどウッドスティックとボーカルしか鳴ってないぞ。そして当然のようにメトリックモジュレーション。「ファ、ファンキってこんな音楽だったか?!」という感じはEquiknoxxを聴いたときに「ダ、ダンスホールって(以下略)」と思った感じに似ている。


 さっきのは別に一曲変なのがあるって感じじゃなくて、単音のパーカッションループ+2小節に一回頭にキック鳴るだけみたいなのは結構ある。それでも最高にポップな耳あたりなのはMCの存在感ありきというところか、それともリズムそものもに潜在的な人懐こさが宿っているのか。

 すかすかなうえにエモい。これがサウダージというやつだろうか。違うかもしれない。でもこの享楽と切なさがないまぜになった独特のエモさはサウダージっぽい。

 能天気なだけがファンキじゃねえぞ、という例としてはこれも耳にとまった。切ねえ! 切な系ファンキ。

 ちなみにここで挙げた曲はだいたい“Funk Putaria”というラベルがついてて、まあビッチからピンプまでセックスをネタにした曲程度の意味っぽいが、もしかしたらこういう音のスタイルまで指すのかな。ようわからん。YouTube上に曲を配信してる専門チャンネルとかファンキに合わせた振り付けを踊ってアップしてるチャンネルがうなるほどあって、それを順繰り聴いてるだけでとくに掘ってるというほどではないのだが、それでもおもしろいのがザクザク出てくる。

乱立しまくってるんであれだけど、Gêmeas. Com
(上動画のチャンネルです)なんかいかにもブラジリアンビューティみたいな美人姉妹が冗談みたいにエッジーなファンキにのせて踊っていて最高だと思います。いちばんオーセンティックなチャンネルってどこなのかな~。LEGENDA FUNK ORIGINALやその姉妹チャンネル?DETONA FUNKなどが変なファンキいっぱい聞けるところって感じ。

 追伸:

 楽曲はファンキでもなんでもない普通のポップスなのだが、ガキが「マインクラフトの世界ではなんでもできる、家建てたりしようぜ!」みたいなラップをしている(Google翻訳に突っ込んでみた)。これはマジで意味がわからねえ。「妖怪ウォッチ面白い」のお歌~、とかないじゃん。なにこれ。

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